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経験豊富な弁護士集団による相続問題のための法律相談は中村・安藤法律事務所

1 遺言の有効無効裁判について・・・・弁護士の専門性について

公正証書遺言であれ、自筆遺言であれ、その有効性が争われることは少なくありません。生前に遺言者が述べていたことと全く違うことが記載されていたような場合で、かつ、遺言者が多少なりともボケていたり、認知症になっていたような場合は、その有効性を検証してみることが重要でしょう。
弁護士であっても、遺言の有効無効を裁判で争うことは通常の裁判よりも難しく、遺言の有効無効の裁判は、医療過誤裁判や特許の裁判などと同じく、高度の専門性を要する裁判です。
① 過去に、遺言の無効の裁判を複数回、実際に担当したという豊富な経験と➁カルテの読み方や認知症に関する専門知識が必要とされます。
弁護士に依頼をしたり、相談をしたりする場合には、是非とも、その弁護士に「過去に遺言無効の裁判を担当したことありますか?」「何件ありますか?」と聞いてみるとよいでしょう。

当事務所では過去10件の遺言無効の裁判等を行っています(この内、2件が公正証書遺言の無効を争うものです。)。是非、お気軽にお問い合わせください。

 

2 遺言が無効となる原因について…形式不備と遺言能力の欠如

⑴ 形式の不備
自筆遺言であれ、公正証書遺言であれ民法が定めた方式を踏んでいない場合には形式の不備として無効となります。
2019年1月より前は、土地建物と言った不動産の所在を含めて全ての文章を遺言者本人が自筆する必要がありました。しかし、2019年1月以降については財産の内容を示す財産目録の部分については、パソコンでの作成が認められることになりました。それ以外の全ての部分は遺言者本人が書かなければなりません。
また、自筆証書遺言においては一部でも他人が代筆したりパソコン(前述の財産目録部分は除きます。)で作成したりしていると無効となります。日付や署名など、記載すべき事項が抜けていると、それだけで遺言書そのものが無効となってしまうので注意が必要です。また、印鑑が押されていないと無効となります。
公正証書遺言は公証人が作成に関与して、証人を2人立てた上で、公証役場において作成されるものです(公証人は遺言者の元に出張もしてくれます。)。
公正証書遺言においても形式の不備が指摘され、裁判所において無効とされることは稀にあります。例えば証人適格がないものが証人として立ち会った場合(なお、証人適格がない者が立ち会っても、証人適格有る申立人の2人が立ち会っていれば、最高裁判例によれば公正証書遺言は有効となります。)や遺言者が公証人に遺言の内容を説明しないとき(口授しない)等は、法(民法969条)が要求する手続を履践していないとして無効となることがあります。
⑵ 遺言能力の欠如
遺言能力が無いにもかかわらず作成された自筆遺言は無効となります。公証人の関与の元作成された公正証書遺言であっても、遺言能力が欠けている場合の公正証書遺言は無効となります。裁判で有効無効が争われるのは、遺言能力の存否が争点となる例が殆どです。遺言能力とは、遺言の内容を理解し、判断する能力といわれています。多くの裁判例は、意思能力の有無の判定を主として行っています。
具体的にどの程度の能力があれば、「遺言能力がある。」といえるかは難しい問題です。民法961条は「15歳に達したものは遺言をすることが出来る。」と定めていますが、逆に言うと14歳以下の者がした遺言は当然に無効となります。なお、この条文を基にして、「遺言能力とは15歳程度の者の能力を指す。」といわれることがありますが、裁判所は決してそのような判断アプローチはしないので注意が必要です。ある裁判例では、「遺言能力は財産管理能力と異なり、自己の死後に財産を誰に相続させるかという比較的単純な事項を理解できる程度の能力で足りる」(東京地裁平成23年12月12日)と判示しています。

3 公正証書遺言は裁判において無効となるか、について

公正証書の作成においては、法的知識がある公証人が作成に関与するため、一般的には遺言能力の欠如を理由として無効となることは裁判例においても多くはありませんが、実際に無効となる例もいくつもあります(少し古い統計ですが、平成元年からの10年間において裁判所で公正証書遺言の無効が争われたのは24件ありましたがその内、裁判所において無効と判断されたのは11件あったということです。)。
公証人は、①法律の専門家ですが、医学の専門家ではなく、かつ、➁遺言者と日常的に接しているわけではなく、公正証書遺言を作成するにあたり遺言者と5分から10分間くらい会話(名前・住所・生年月日を聞き、遺言の内容やその動機を簡単に聞く程度です。それ以上に医学的観点から遺言能力を検証する、ということはしません。)をして、遺言能力があるか否かを判断するので、その判断に誤りが生じることも十分にあるのです。 実際、私自身は、遺言能力の存在に疑義がある場合でもあっさりと公正証書遺言が作られた例を数件経験しています。
尚、公正証書遺言であれ、自筆遺言であれ遺言能力の欠如を理由として無効を主張する場合には、その無効を主張するものが積極的に無効であると証明していく必要があります。即ち、立証責任は無効の主張者側にあるといえます。

4 遺言能力の存否を判断する大きな3つの視点について

遺言能力の存否については、①医学的な観点、②遺言書の作成経緯、③遺言内容の合理性・その動機、等を総合的に考慮して判断されます。
なお、遺言書の内容が極単純な場合(例えば、「全ての財産を長男に相続させる)というもの)には比較的、低い程度であっても遺言能力を認める方向に行きます。他方、遺言書の内容が複雑となる場合(例えば、「不動産の評価が1億円を上回る場合には、預金を均等に分けるが、不動産の評価が1億円を下回る場合には預金の分配を長男が他者の2倍とする、」など条件などが付く場合)には比較的高度な能力が要求されます。
即ち、当該遺言者が同じ意識レベルであっても遺言書の内容の簡易さ・複雑さによって、『遺言能力がある』『遺言能力はない』として判断が分かれることも十分にあり得ることなのです。
裁判所は、上述の①、②、③の中でも特に①の医学的観点を重視します。そして、①を柱としつつ、➁遺言書の作成経緯、③遺言内容の合理性・動機、というものを考慮して判断していきます。

5 医学的観点における最重要要素について(主治医の意見と公証人の意見について)

裁判所は主治医の意見は重視しますが、公証人の意見はあまり重視しませんので注意が必要です。
⑴ 主治医の意見と主治医の立場の中立性
生前に遺言者をよく見ていた医師(主治医)の意見が特に重視されます。主治医の意見は医学専門的知識に基づくだけではなく、比較的中立の立場にあるためその意見は信用性が高いと裁判所は考えます。
⑵ 公証人の意見と公証人の立場
他方、公証人は自らが作成に関与したため、自らを守る必要がある立場から「遺言能力が存在していた」と証言しやすいと考えられるため純粋に中立の立場といえるかは疑問があると裁判所は考えます。即ち、遺言能力が無いにも関わらずそれを安易に見過ごして遺言能力があるとして公正証書遺言を作成した公証人は、場合よっては損害賠償の義務を負うこととなる為、その点でも純粋に中立な第三者とは考えられないのです。
裁判所は公証人の意見にはさほど引きずられない、と解してもよいでしょう。

6 没後の医学鑑定について

⑴ 別の医師による医学鑑定について
遺言者が亡くなった後に裁判になると遺言者の生前のカルテ、診断書、各種医療記録などを、主治医以外の他の医師にみせ、鑑定書の形で証拠として提出されることが多々あります。
特に遺言能力の無効を主張する側が、主治医以外の医者に委託して、「無効である」という形の意見書を出す例が多いと言えます。
しかし、裁判所はその様な意見書は直接当該被験者(遺言者)を見たわけではない人の意見として必ずしも重視しない傾向にあります。実際、私が担当した事件でも何通かそのような意見が出されましたが裁判所は「遺言者と直接面談していないものの意見は主治医の意見には匹敵できない」として信用性を認めていません。
インターネットなどで検索すると、「専門の医師が遺言能力の存否を事後的に判定します」というサイトを見かけます(費用は、ものにもよりますが、20万円から50万円ほどの例が多いようです。)。しかし、必ずしも裁判所はこれらの意見を重視するわけではないので注意が必要です。
この様に、遺言者の没後に専門家の意見書を付けることはよくありますが必ずしもその証拠力(どの程度裁判所に対して説得力があるか、ということ)は高いものではないでしょう(どうしても必要であれば、生前に主治医ではなくても構いませんが、直接医師に診察してもらうことでしょう。)。
⑵ 主治医の意見に信用性が高い理由について
医師が患者を診断しその能力を診断するに際しては、カルテや検査結果等の各種記録・資料に表れないものも重要な要素を持つといえます。
診察室への入り方や出方、歩き方、姿勢、表情、仕草、顔色、診察中の態度、挨拶や日常会話のやりとり、問診の際の回答の速さや声の大きさといった状況、等は全体として記録に残しにくいものであるが、それらを把握できるのは唯一生前に患者として煩雑に接していて主治医であるのです。
また、主治医は遺言が有効であれ、無効であれ、そこに利害関係を有しない立場にあり、中立の立場にあると解されるため信用性を裏付けることとなります。公証人や、没後に有償で鑑定を引き受けた医師とでは立場が違うと裁判所は考えるのです。
⑶ 裁判所の職権による医学鑑定について
裁判所関与の元、原告・被告が共同で中立の医師を選任して医学鑑定をすることも法律上はあり得ますが、実際の実務ではあまり多くないと言えます。また、裁判所が職権で遺言者の遺言能力を鑑定する、ということも同様です。
裁判所は、遺言者に直接面談していない医師にことさらに時間と費用をかけて委託をすることはせず、没後であっても主治医の意見を聞き、また、その他の客観資料から遺言能力の存否を判断していきます。

7 裁判所による、医学的観点からの遺言能力の存否の判定の仕方 判断資料について 

⑴ 遺言能力の存否の判断は、もちろん遺言書作成時点での能力が問題となるのですが、現実にはその時点の能力を直截に証明する資料が乏しいのが実情です(実際には明確な主治医の意見がないことが多いです。)。そこで、裁判所は、遺言書作成の前後を通じて様々な資料を下に判断していくこととなります。
⑵  判断資料の種類
判断の資料としては、遺言書作成の前後の①医師の診断書、②医師のカルテ、③看護記録、④介護保険の認定調査票、⑤介護施設に入っているときはその報告書、日報、⑦認知能力検査の結果(長谷川式検査やMMSEという検査の得点)、⑧VSRAD検査の結果、等が用いられます。中でも①が重要とされます。
④の介護保険の認定調査票には、調査員が結構詳しく一問一答で質問し、その答えを元に認知能力の判断を項目毎に詳しくしております。従って、裁判においても重要な資料となり得ます。この取り寄せは遺族であれば可能ですので、取り寄せるのも有効な手法です。
また、介護保険の認定をする際に主治医の意見書が付けられることがあり、そこに『日常生活の自立度』という項目があります。『自立』→『I』→『Ⅱa』→『Ⅱb』→『Ⅲa』→『Ⅲb』→『Ⅳ』→『Ⅴ』→『M』という具合に程度で分類されています。
遺言能力と日常生活の自立度は有る程度、リンクし、相関関係にあります。誤解を恐れずにごく大雑把に言えば、『Ⅱa』か『Ⅱb』位が遺言能力の有無の境界線上といえると思われます。

⑶  認知症の発症時期
更に、認知症の発症時期も大きな判断要素となります。認知症はゆっくりと不可逆的に進行するのであり、発症から1年後に書かれた遺言書か、或いは、5年後に書かれた遺言書か、という視点です。更に、認知症が原因で亡くなった場合は、遺言書が書かれてから亡くなるまでの期間も参考とされます。
⑷ 認知症の種類について
認知症といってもその原因となるのは①アルツハイマー病を原因とするもの、②前頭側頭葉変性症を原因とするもの、③血管性認知症を原因とするもの、④lewy小体型認知症を原因とするもの等様々です。
中でも比較的多いのがアルツハイマー病を原因とするものです。遺言能力の存否を判断する上でも、認知症の中のどの方の症状なのかについて注意をして検証していく必要があるでしょう。
特にアルツハイマー病においては、投薬により進行を遅らせることは出来ますが、改善させる事はないとされています。即ち、時間の経過と共に(投薬により差こそあれ)進行していくものなのです。アルツハイマー病を原因とする場合には、調子の良い日と悪い日はあまり無いとされています。巷では、まだらボケ、という表現がありますが、裁判所においては遺言能力を判断するうえでは、余り重視されていないのが実情です。

8 認知症能力検査(長谷川式検査やMMSEという検査の得点)について

遺言者の認知能力を検査する方法として代表的なものに長谷川式検査やMMSE検査というものがあります。いずれもインターネットでその検査の内容が分かります。
長谷川式検査の場合、30点満点の内、一般的には20点以下が認知症とされます。即ち、20点以上の得点を取っている遺言者の場合にはそれだけで大きく認知能力を裏付ける方向となり得ます。遺言書を作成した時点からどの程度前の検査であったか、或いは、遺言書作成後に受けた検査であったか、という視点でこれらの得点を元に認知能力を検証していくこととなります。
他方、20点未満であっても遺言書の内容の複雑さなど総合考慮に基づき認知能力の存在が認定されることは決して珍しくありません。私が関わった裁判でも12点であっても総合的に判断して遺言能力が認められました。 なお、認知症(特にアルツハイマー病)においては症状が、良くなっていくと言うことは一般にはありません。即ち、理論的には長谷川式検査やMMSE検査は半年後に受けた検査の方が、得点が悪い、という事となります。
しかし、現実には半年後の方が得点がよい、ということも決して珍しいことではありません。長谷川式検査やMMSE検査を受けるときの体調や本人のやる気、また、検査者が被験者の最大限の能力を引き出せるような雰囲気を作ってあげたか、という要因により得点は左右され得ます。その様な観点からすると長谷川式検査やMMSE検査は遺言者の遺言能力を評価する上では絶対的なものではなくあくまで一資料と言うこととなります。過去の裁判例では、長谷川式検査が6点という非常に低得点であったにもかかわらずその時の本人のやる気が欠如していたためであるという認定をして、遺言能力がある、とした例もありますので注意が必要です。 また、長谷川式検査においては時間の見当識や、場所の見当識を問う問題や、短期記憶や即時記憶を問う問題がありますので、専ら最終的な得点のみに捉われるのではなく、どの問題に解答できたか、どの問題に不正解であったか、という点にも配慮する必要があります。

9 遺言者の記憶の内容・能力について

記憶の保持の程度も認知症の程度を判断する上で重要な働きを持ちます。一般に、人間の記憶は①近時記憶、②即時記憶、③遠隔記憶というように分類されます。①近時記憶というのは少し前の出来事についての記憶であり、例えば、さっきお昼ご飯を食べたかどうかということの記憶です。②即時記憶は直前の記憶です。例えば、4桁の数字を言われて10秒後に復唱することが出来る記憶の能力です。③遠隔記憶は遙か昔の記憶のことです。例えば、少年時代に生活していた家についての記憶、20年前に行った旅先での記憶、というものです。
遺言者の認知能力を検証する上に置いては、どのような記憶を保持していたか、という視点で考察することが重要となります。
即ち、これら3つの記憶のうち、認知症においては一般に最初に害されるのが近時記憶であり、その次に即時記憶が害されます。そして、最後に遠隔記憶が損なわれてきます。私たちはどうしても、幼いときの記憶を保持しているとそれだけで、「記憶能力が保持されいる」と考えがちですが、幼いときの記憶というのは近くに起きた出来事よりもはるかに保持されやすいのです。
この様な記憶のメカニズムに即して認知症と遺言能力の関係を考えると、例えば、認知症であり、近時記憶が害されていたとしても即時記憶が保たれていることが裏付けられる場合には、遺言能力を裏付ける方向となります。他方、遠隔記憶まで害されていると裏付けられる場合は遺言能力が欠如しているという方向に大きく傾きます。
近時記憶、即時記憶、遠隔記憶の存在の有無については、日々の介護記録の記載内容、介護保険の認定調査票の記載内容、長谷川式検査やMMSEの回答内容などで裏付けられることが多いです(余り医師の診断書・カルテから裏付けられることは多くありません。)。
長谷川式検査やMMSE検査の検査項目の中には、近時記憶の有無・即時記憶の有無を直接に質問するものがあります。

10 書字能力について

遺言者の書字能力も重要な判断要素となります。認知能力が欠如してくると文字を書く能力も、それに比例して減退していきます。特に漢字を書く能力はより減退していきます。自筆遺言の記載の中に、自分の名前が漢字できちんと書けている場合(正確な文字であり、大きさが均一であり、バランスがとれている場合など)で、更に、遺言内容がきちんと記載されている場合には遺言能力を裏付ける方向となります。
但し、自筆遺言の場合は得てして相続人の1人が予め用意した文面を右から左に遺言者に書き写させるということも多いので注意が必要です。この様な場合は、(書字能力ではなく)写字能力がある、という形で問題となります。写字能力とは、右から左に「文字を写して書く能力」の事です。書字能力と写字能力では書字能力の方が比較的高度な能力が必要とされます。
重度の認知症となると書字能力はもちろん写字能力も害されることとなります。即ち、写字能力さえ存在しない、という事となると遺言能力の不存在を裏付ける方向となります。
自筆遺言においては基本的には全文(物件目録等はワープロでも可能です。)を自署する必要がありますが、公正証書遺言において自署できない場合には公証人が代筆することもあります。公証人が代筆する場合には自署する能力が無いことを一般的には意味するためこの点では遺言能力を否定する方向の要素となります。
尚、公正証書遺言は原本が公証役場に保管され、その正本(写しですが原本と同じ効力を有する物)が遺言者に交付されます。正本には遺言者の自署であれ公証人の代筆であれ、そられは載りません。原本にのみ載りますので、公正証書遺言の有効性を検証するには、(正本ではなく)原本を直接確認する必要があります。原本は相続人であれば公証役場に依頼すれば交付され得ます。
ですから、公正証書遺言の遺言能力の存否を争うのであれば、公正証書遺言の正本ではなく、原本を取り寄せてその署名を検証する必要があります。

11 投与されていた薬について

物忘れが激しい、とか初期の認知症においては、アリセプト(ドネペジル)という薬が比較的投与されています。アリセプトはアルツハイマー型認知症およびレビー小体型認知症の症状進行を抑制する薬であり、認知症治療薬の中でも古くから使用されているものです。
• また、比較的新しい薬としてはメマリー(メマンチン)という薬があります。中等度及び高度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制の為の薬です。保険適用されるには中等度以上のアルツハイマー病に投与されるのです。このように具体的にどのような薬が遺言者に投与されていたか、ということを調べることで、有る程度その投与時点での遺言者の認知症の程度を推測することが出来ます。メマリーが投与されていれば、その人は中等度の認知症であった、と一応は言えることとなります。なお、現実には医師は軽度のアルツハイマー病にもメマリーを投与することがありますので注意が必要です(アメリカでは軽度のアルツハイマー病に対してもメマリーが当然のように投与されています。)。

12 客観的な医学数値であるVSRADについて

VSRADとは海馬傍回(海馬の周囲に存在する灰白質の大脳皮質領域)の萎縮の程度を確認することができる画像診断装置のことであり、この数値によって認知症・アルツハイマー病の進行の程度が客観的に診断され得ます(検査の結果、海馬傍回の萎縮は「VOI萎縮度」という数値で表れます。)。即ち、萎縮度が0から1未満の場合、アルツハイマー型認知症の可能性は低いとみられます。萎縮度が1以上2未満と若干の萎縮が確認できる場合、今後の経過観察と引き続きMRI検査が必要となります。
萎縮度が2以上3未満と強い萎縮がみられる場合、アルツハイマー型認知症を発症している可能性は高まります。そして、萎縮度が3をオーバーした場合、ほぼ確実に認知症を発症しているとみられ、認知症の治療が必要になります。
従って遺言書の作成の前後においてVSRAD検査を受けている場合にはその数値によって、遺言書作成時点での認知症の程度が予測されうることとなります。科学的な客観証拠として強い証明力を持ち得ます。医師のカルテや検査報告書を検証することでこの検査の有無やその内容を知ることが出来ます。
カルテは読みにくいので、専門家に依頼するか或いは、カルテの読み方の本(例えば、「カルテの読み方と基礎知識」(吉岡優子編著・株式会社じほう))などを参考にするのがよいでしょう。

13 日々の活動からの認知症の程度の検証

遺言能力を考えるうえで重要なことは、「認知症か否か?」ということのみならず「認知症はどの程度であったか?」ということです。認知症が軽度であれば比較的遺言能力は認められる方向に行きますし、重度の認知症ではほぼ遺言能力は否定されるでしょう。中度の認知症の場合はやや遺言能力は否定される傾向にはありますが境界線上ともいえると思われます。私が関与した事件でも中度の認知症でしたが遺言能力は肯定されました。

介護施設における日報・ケア記録、介護施設の報告書、介護保険の認定調査票などから、遺言書作成時点やその前後の遺言者の生活状況・日常生活における自立度(ADSL)を検証していくことも重要となります。
FASTという観察式の評価法があり、これをつかって裁判所においても認知症の程度を検証します。ごく大雑把に言うとfast stage 4であれば遺言能力を裏付ける方向に行き、他方、fast stage 5ですと遺言能力を否定する方向に行くでしょう。

①アルツハイマー病の初期・軽度
長谷川式検査は18点から25点であり、FASTではstage4に当たります。
近時記憶について記憶障害が出始め(この時点では、即時記憶は保たれています。)、時間場所の見当識障害が起き、季節感も失われます。買い物、金銭管理などの日常生活での複雑な仕事が出来なくなります(逆に言うと、買い物や金銭管理が出来なくても、まだ軽度の認知症といえる場合はあるのです。)。
例えば、多くのお客さんを自宅に招くような場合、半分以上の人を別の日に招いてしまう、買い物では大量に買ってしまう、などが起きます。
近時記憶が害され始めるため、2時間前にご飯を食べたことを忘れてしまう、ということも起きます。他方、自分で衣服を選んで着たり、入浴したり、行き慣れた場所に行ける為、介護なしでも生活はできます。

また、人形現象などが起きることもあります。人形現象とは人形を疑似の生物としてではなく,生きた生物として抱いたり,話しかけたり,叱ったりする等,人形に対して積極的な交流をもつ現象です。即ち、人形を我が子のように世話を焼き、自分の子供と認識しているものです。人形現象は、必ずしも重度の認知症でなくても起きうるといわれています。
即ち、人形を我が子として真剣に世話しているような場面があっても、専らそれのみであれば軽度の認知症に止まることもありうるのです。なお、「人形現象」と似た現象には、「鏡現象」と呼ばれるものがあります。鏡現象とは、鏡のなかに写った自分の姿に向かって話しかけたり怒ったりするものです。この鏡現象は、人形現象よりも認知症が進展した場合に発生しやすいいわれているので、これらは区別して判断していく必要があるでしょう。

②アルツハイマー病の中期・中度
長谷川式検査は11点から17点であり、FASTではstage5に当たります。
日常生活を自立して行えず介護が必要となります。
近時記憶が失われ、即時記憶も失われてきます。なお、この段階でも大昔の記憶である遠隔記憶は残っています。この頃から徘徊も起きやすくなります。徘徊は文字通り、あてもなく歩き回ったり、迷子になり警察に保護されることとなります。
更衣にも支障が生じ、ボタンを自分でかけることも困難になり、また、適切な服を洗濯することも困難になります。スーツで寝たり、パジャマで食堂に来る、トイレの場所が分からない、等があげられます。排泄にも支障を来し始める時期です。

③アルツハイマー病の末期・重度
長谷川式検査は0点から10点であり、FASTではstage6から7に当たります。
独力では服を正しい順序で着られない、入浴を恐れる、等が起きます。
便失禁や・尿失禁が起きます。便器のふたを開けずに座って排尿する、靴下を片足に重ねて履き片足は素足のままである、歯磨き粉のペーストを食べてしまう、などが起きます。また、妄想や幻覚などが生じますが活動性が低下していきます。また、言葉によるコミュニケーションが難しくなります。

Nippon Rinsho Vol 69, Suppl 8 2011

表1 Functional Assessment Staging(FAST)

FAST
Stage
臨床診断 期間 臨床的特徵 臨床症状の解説,詳細,具体例
1 正常 50年 主観的および客観的機能低下は認められない 5-10年前と比較して職業上あるいは社会生活上,主観的および客観的にも機能低下はない.
2 年齢相応 15年 主観的な機能低下はあるが,客観的な機能低下は認められない 名前や物の場所を忘れたり,約束を思いだせないことがある .
主観的な機能低下は,親しい友人や同僚にも通常は気がつかれない.職業上あるいは社会生活上の複雑な機能は障害されない.
3 境界状態 7年 職業上あるいは社会生活上の複雑な任務に支障をきたしうる十分大きな客観的機能低下を認める 生涯で初めて重要な約束を忘れてしまう.初めての場所への旅行のような複雑な作業を行う場合には機能低下が明らかになるが,買い物や家計の管理あるいは行き慣れた場所への旅行など日常行っている作業をするうえでは支障はない.要求を求められるような職業的あるいは社会的環境から退いてしまうこともあるが,退いた後の障害は明らかではないかもしれない.
4 軽度のAD 2年 日常生活上の複雑な任務に支障をきたす 客を適切に招待できず,半分の人をパーティーの日の翌日に招待してしまう.買い物で必要なものを必要な量だけ買うことが できない.誰かが管理しないと,勘定の計算を正しく行うことができず,重大な間違いを起こすことがある.自分で衣服を選 んで着たり,入浴したり,行き慣れた場所へ行ったりすることはできるため,介護なしで社会生活ができるが,単身で生活し,自分で家賃を支払っている場合,家賃の額を尋ねられると,低く答えてしまう.
5 中等度のAD 18カ月 適切な衣服を選ぶというような日常生活上の基本的な任務が行えない 日常生活を自立して行えず,介護が必要となる.介護者が家計や買い物の手助けをする必要があるし,季節と場所に合った衣服を選んであげる必要がある.いったん適切な衣服を選んでもらえれば,自分で適切に着ることができる.定期的な入浴を忘れることもあり,入浴に説得が必要なこともあるが,自分で適切に入浴でき,湯の調節もできる.自動車の運転が困難となり, 不適切にスピードを上げ下げしたり,信号を無視したりする. 運転中,人生で初めて他の自動車に衝突してしまう患者もいる.叫び声を上げたり,過活動性や睡眠障害のような感情障害によ り,しばしば危機的状況となり,医師の介入が必要になる.
6a やや高度のAD 5カ月 不適切な着衣 寝巻の上に普段着を重ねて着てしまう.靴紐が結べなかったり, 靴を履くときに左右を間違えてしまう .
b 5カ月 入浴を一人で行えない 湯の調節や浴槽への出入りができにくくなり,体も適切に洗えなくなる.入浴後, 体を完全に乾かすことができなくなる.このような入浴の障害に先行して,風呂への恐怖や抵抗がみられることがある.
c 5カ月 用便を一人で行えない 用便後,水を流すのを忘れたり,きちんと拭くのを忘れる. 用便後,下着やズボンを戻すのが困難となる.
d 4カ月 尿失禁 この段階の特徴である尿失禁は時に(c)の段階で起こるが,(c)より2から数カ月後のことが多い.この時期の尿失禁は尿路感染や泌尿生殖器系の障害なく起こるものであり,適切な用便を行う際の認知機能低下に起因する.
e 10カ月 便失禁 便失禁は(c)や(d) の段階でみられることもあるが,この時期に認められることがより多い.便失禁は尿失禁と同様に,用便に対する認知機能低下により起こる.焦燥や明らかな精神病様症状のためにしばしば危機的状況を生じ,医療施設を受診することになる,暴力的行為や失禁のために,家族は施設入所させることを考えるようになる.多くの患者が幻覚妄想状態になるこ とがある.
7a 高度のAD 12カ月 語彙が最大限6語となる ADの進行とともに,語案の減少と会話能力の低下は進む. Stage 4と5の段階で,無口になったり,会話が少なくなったりすることはしばしば認められ,Stage 6では,完全な文章を話す能力が次第に低下する.失禁がみられるようになると,会話は単語あるいは短いフレーズに限られ,語彙は2,3語になっ してしまう.
b 18カ月 理解できる語彙がただ1つの単語となる AD 患者が最後に使用する単語は様々であり,患者により”はい”であったり,“いいえ”であったりする.すべての応答が“はい”であったり,“はい”という言葉が肯定と否定の両方の意思を示すために使われることもある.病気が進行するにつれて, 最後の1単語も使用しなくなるが,何カ月後に,突如その最後の1単語をはっきりしゃべることもある.最後の1単語も使用しなくなると,ぶつぶつ意味不明のことを言ったり,大声を出すだけになる.
c 12カ月 歩行能力の喪失 AD では比較的早期から歩行障害が出現することがあるが,それは認知能力の障害によるもので,例えば,歩行の速さが速すぎたり遅すぎたりすることはまれではない.Stage6では,歩行がゆっくりになったり,小刻み歩行をとったりし,階段の昇降に介助を要するようになる.Stage7の歩行障害は認知能力の障害でなく,恐らく大脳皮質運動野の破壊に起因する.このstageの歩行障害の出現時期は多少様々である.単純にゆっく りとした小刻みな歩行が進行する場合や,歩行時に前方,後方あるいは側方に体が傾くこともある.体をくねらして歩行をすることもある.
14 見当識障害からの視点

見当識障害は、時間の見当識障害→場所の見当識障害→人物の見当識障害の順序で起きます。
即ち、単純化して述べると、軽度の認知障害で時間の見当識障害が起き、中度の認知障害で場所の見当識所が起き、更に重度になると人物の見当識障害が起きると言われています。

15 認知症発症からの時間的視点(アルツハイマー型認知症の場合)

認知症になる際には、ある日突然に認知症になるわけではなく、正常な状態から徐々に機能低下していきます。即ち、認知症になる前に、認知症か否かの境界線があります。MCI(軽度認知機能障害)といわれいるものです。
このMCIの状態が一般的には7年ほど続くと言われています。
その後、軽度の認知機能障害(軽度アルツハイマー病)は、約2年間続きます。
そして、中度の認知機能障害(中度アルツハイマ―病)は、約1年半続きます。
そして、やや高度の認知機能障害(やや高度のアルツハイマー病)は、約2年続き、その後高度の認知機能障害(高度のアルツハイマー病)に陥ります。
各種証拠から客観的にその時点の認知機能障害の程度が裏付けられる場合、その時点を基準に遺言時の認知機能障害の程度を推測する、という手法も有効に用いられます。遺言書作成時点の認知機能障害の程度がはっきりしない場合に特に有効な手法です。

例えば、軽度認知機能障害と診断されてから3年後に作成された遺言書の場合、その時点では、遺言者の認知機能障害の程度は「中度である、」という推測がされえます。他方、中度認知機能障害と診断された時点の2年前に作成された遺言書の遺言者の認知機能障害の程度は、「軽度である、」と推認されえます。

16 遺言書の内容がどのようなものであったかについて

遺言能力は、専ら遺言者の認知能力によって、絶対的に決まるものではありません。
遺言書の内容とも連動して、遺言能力の存否が決まり得ます。即ち、遺言書の内容が単純であればあるほど、求められる遺言能力は低いもので足ります。他方、複雑になればなるほど、より高い遺言能力が求められます。同じ人物が、同じ日に2通の遺言書を作成したような場合を想定するに、「単純な遺言書については遺言能力がある、」と判断されつつ、「複雑な遺言書については遺言能力がない」と判断されることも十分にあり得ます。
例えば、①「全ての相続財産を長女に相続させる」というものはもっとも単純なものと言えるでしょう。この様なタイプの遺言書については、相対的に求められる認知能力は低いものでも足りる方向でしょう。他方、②相続財産の内、一部を長男に、その他を次男や三男などに相続させる、というものや、③複数の不動産をそれぞれ金銭評価した上で、それぞれを異なる相続人に相続させた上で、皆が均等になるように預貯金で調整するような形の遺言書になると、より高い認知能力が求められるでしょう。

17 遺言書作成の経緯等

遺言書が作成された経緯も遺言能力の有無を判断する材料となります。
遺言書がどのようにして作られたか?という事です。公正証書遺言が作られたような場合においては、誰が公正役場にその作成を依頼したのか、誰がその遺言書の原案を持ち込んだのか、或いは、そこでのやりとりが問題となります。例えば、遺言者が自ら、公証役場を訪れて遺言書の原案を持ち込んだような場合は一般的には認知能力を裏付ける方向でしょう。他方、親族や弁護士が窓口となり、公証役場においてやりとりをし、公正証書遺言作成の場面においてのみ遺言者本人が関与したというような場合(遺言能力の有無は別として、現実にはこの様な例の方が多いのが実情です。)には、遺言能力の存在を裏付けるものではありません。また、なぜその時点で遺言書が作成されたのかというのも考慮されます。何か特別な事情が発生したのでそれをきっかけに遺言書が作られたのか、そして、その特別な事情に専ら遺言者のみが関与したのか(この方が遺言能力を裏付けます。)、それとも相続人らが積極的に関与していたのか(遺言能力を否定する方向の要素です。)、という視点も加味されます。

18 遺言書作成の動機について

当該遺言書がどのような動機によって作成されたのか、ということも当該遺言書が真実遺言者の意思に基づいて作成されたのか、ということを考える上で重要となります。
遺言者に対して強い影響力を有する人物(同居の親族等はこの典型でしょう。)に有利な内容の遺言書が作成された様な場合、①真実、遺言者の意思に基づいて作成されたのか、或いは、➁認知症が進んでいることを奇貨として強い影響力を有する人物が事実上書かせたのか、を検証する必要があります。認知症が進むと他者に迎合しやすくなりますので、遺言者本人が記載した自筆証書遺言であっても、遺言能力に基づいて真実遺言を残したと言えない場合が多々出てきますので注意が必要です。
この検証においては、当該遺言者がその様な遺言を作成する動機が本当にあったのか、という視点が重要となります。
例えば、①同居の長男が金銭に困っており、生前、他の相続人が十分に贈与を受けていたような場合には、同居の長男に有利な遺言書が作成されることに動機はあると解される方向です。②他方、不自然に、特定の1人に「全て相続させる」というような遺言書の場合は、果たしてその様な遺言書を作成する動機があるのか、というが事が検証されます。判例においても、親族でもない人物に全て相続させるという内容の遺言書については、「その様な遺言書を作成する動機が見あたらない」として認知症を裏付けるものとして無効としたものがあります。

19 その他裁判所が加味する判断資料について

遺言の有効無効について利害関係のある近親者の証言や陳述であっても、(診断書・ケア記録・介護保険の認定調査票などの)客観的証拠に基づいて裏付けられる場合、裁判所は十分に心証を取ります。
更に、客観証拠による裏付けがなくても、遺言者の遺言作成前のエピソードや遺言作成後のエピソード等も具体的で、迫真性があり、合理的なものであれば、裁判所は心証を取ることはあります。
私が扱った公正証書遺言の裁判では、公正証書遺言作成に立ち会った証人(公正証書遺言においては、2名の証人の立ち合いが必要とされます。)が、裁判所で証言しました(裁判所は彼らの証言を聞きたがっていました。)。医者が証言台に立つことは余り多くはないのが実情です。公証人についても同様です。
介護施設に入所している遺言者の場合、介護職員の証言も前述の視点から十分証拠となりえます。実際担当した事件では、5名の介護職員からの陳述書が出たケースもあります。
裁判所においては、全ての証拠の信用性を検討しつつ、あくまで総合的に判断します。どれか1つの証拠があれば遺言能力が肯定される、あるいは、否定される、という様なものではありません。

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